父に捧げる鎮魂歌

今日の運勢は、「自分に足りないものと向き合う日」なんだそうだ。


今週の月曜日、未明に父は帰らぬ人となった。肺炎で入院中の病室で、僕と妻、姉の三人に看取られ、静かに眠るようにして86歳の生涯に幕を下ろした。

今日は告別式。父が最後に目を閉じてから丸5日、いよいよお別れをしなければならない。
それなのに。

昨夜、妻とケンカした。

本当のことを言ってはいけないのだそうだ。
施主として、遺族代表の挨拶をしなければならない。僕なりに話す内容は考えていた。

忙しいところご参列いただいた皆さんへの感謝、父がそのことを喜んでいるであろう事。不器用な父が愛情を上手く表現出来る人ではなかったこと、それに気付いてあげられず、僕は父にとって決して良い息子とは言えなかった事... 

ところが、妻に言わせると、悪い事なんか言うもんじゃないのだそうだ。紋切り型になろうと、たとえ嘘になろうとも、悪い息子だっただなんて、言ってはいけないのだそうだ。

謝罪を以ってサヨナラの辞とするつもりだった。それしか言葉が見つからないし、父の真心に気付いてあげられなかったことを詫びるのが、一番の供養になると思ったから。

本当のことは、心の中で呟けばいいよと。妻は言うけれど。

実を言うと、「分かってあげられなくてごめんなさい」っていうのだって、「悪い息子でした」っていうのだって、本当の本心じゃない。心の根っ子の部分じゃ、父に抱いてた疎ましさは消えてないし、自分だけが悪かった訳じゃないって思っている。

でも、分かってあげたいとは思っていたんだ。父が歳をとってきてから随分と丸くなったせいもあり、これまで頑なだった時みたいにいがみ合うことも少なくなり、いくらかは話す事も出来るようになってきた。これから努力しよう、避けてきた自分の親に向き合っていこう、そう思えるようになった矢先の、突然の死だった。

正直なところ、悲しさ、寂しさよりも、悔しい気持ちが先に立つ。何でもっと話し合える時間をくれずに逝ってしまったのか。あれだけいつも憎まれ口ばかりきいていたのに、どうして最期だけはそんなに安らかな笑顔で眠っているのか。

ずるい。——それが、飾らない本心。

今日のラッキーブログワードは、「ファイル」だそうだ。


几帳面だった父は、いくつものファイルを遺している。広告紙の裏に書き綴った覚え書きを、ご丁寧に綴じ紐でくくった雑記帳。しっかりとマジックでナンバリングされた、お手製のDVD。今時、写真を貼り付けた年代ごとにキチッと並ぶアルバム。

言葉数の少ない父は、こんな処に感情のあれこれを閉じ込めてきたのかも知れない。父への反発からか、およそマメなところの無い僕にはちょっと苦痛を伴う作業ではあるが、生前語り合えなかった分、せめてもの罪滅ぼしだと思って、このファイルの山に対峙してみようと思う。

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