哀しき絶対音感
森のくまさん騒動で一躍時の人となったピン芸人のパーマ大佐が、先日ラジオ番組にゲスト出演し、こんな趣旨の事を言っていた。
絶対音感なんて無い方がいい。吹部のみんながシ♭のことをドと呼んでるのが不愉快でキレそうになったと。
これは絶対音感が有る無いの問題じゃなくて、移動ド読みをするか固定ドかの違いに過ぎないと思う。
僕には、絶対音感など無い。しかし、身の回りのあらゆる音がドレミに聞こえる。いわゆる相対音感って奴だ。ケータイのブルッて振動がファミに聞こえるが、実音でF–Eなのかどうかは判らない。救急車のサイレンは、たとえドップラー効果がかかってどんな周波数になろうとも「ピー」がミで「ポー」はドに聞こえる。
そもそも、階名と音名をどちらも同じドレミで呼ぶから面倒なことになるのだ。
移動ド読みは合理的だ。同じメロディなら転調や移調をするたびに読み替えなくて済む。
せっかくの良い演奏もピッチが変わると気持ち悪く感じる、なんてコトも無い。
なぜ、階名という便利なモノがあるのに絶対音感のある人は固定ドで読みたがるのだろう...
だいいち、「調号」の意味がなくなるじゃないか。そういえば、僕の知り合いで絶対音感をお持ちのある方が、譜面の調号を外してわざわざ全部の音を臨時記号に書き直してるのを見たことがある。そのほうが読みやすいそうだ。何とも、ご苦労なこった。
移動ド読みは確かに合理的だが、難点もある。基音がないと歌い出しが分からないし、曲が浮かんでもギターのコードが決められない。僕の理想は、絶対音感を持ちながら移動ド読みが出来ることかもしれない。
せっかくの便利な能力を、パーマ大佐のような方達は疎ましいと言う。音叉を持ち歩かなくても良いとは何て便利な事かと思うんだけど... 。絶対音感を持った本人にしか分かり得ない辛さってものもあるんだろうかね。僕に言わせれば、「私の美しさが罪なのよ」とかいう言う鼻持ちならない女や、「お金なんか持ってるだけ不幸になるんですよ」などとうそぶく偽善者のようにしか見えない。そう言っても、美貌も富も持たない者のヒガミに聞こえちゃうんだろうなあ~(◞‸◟)
断っておくが、僕はパーマ大佐をディスるつもりなど毛頭ない。「森のくまさん」だってなんて素晴らしい解釈なのかと感動すら覚えながら観ている。
あらパーさん、ありがとう! お礼にMVのリンク貼っときましょう ~♪ララララララララ ........
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